読書体験 その3
cakesという電子メディアで連載されている武田砂鉄さんのコラムは、皮肉混じりで小気味良く、定期的に読んでいる。
その視点はなかった!と思うのに、共感することが多い。痒いとこに手が届く、というか、あ、そうそう、忘れてたけどそこ痒かったんだよね!という感じ。
そんな武田砂鉄さんがパーソナリティーを勤めるTBSラジオ「action」でとある本を勧めていたので、すぐに購入した。
哲学者 宮野真生子さんと、人類学者 磯野真穂さんの往復書簡、「急に具合が悪くなる」
この数ヵ月前、友人と「死」について話をしたことを思い出した。
友人は延命治療について思いを巡らせていたようで、私も、生きることについて、そんなに昔ほど執着していないかも、なんて話をした。
更に遡ること2年半くらい前、私はウイルス性胃腸炎になり、その時初めて、もしかしたらこのまま死ぬかもしれない。などと思った。
病院に行くまでは原因不明の今まで感じたことの無い痛みと吐き気。胃腸炎とわかれば大袈裟な話なのだけれど。
もし、死んだら、と考えたときに、やり残したことは特に無いなと思った。
自分の“お店を持ってみたい”とか、そういった夢は、楽しく生きていくために必要なもので、死ぬなら別に意味のないものなんだな、と、痛みの中悟った。
誰にでもやってくる死、でも今じゃない。と、誰だって思っている。
癌の転移を告げられた宮野さんは、最後まで哲学者として考察することをあきらめていない。むしろ、哲学者として、厄災を通して自分の研究分野を考察することができると思った、というのだ。
なんてかっこいいのだろう。
私は、生きることに執着がなくなってきたなどと言いつつ、余命が告げられたら、こんな風に自分の人生を手放さずにいられるだろうか。
100%患者になってしまえば楽だけれど、それは自分の人生を手放してしまうことになり、病気を得たことが「不運」ではなく、「不幸」になってしまうという。
最初に友人の話していた「延命治療」についての疑問の答えがここにある気がした。
意識もない中の延命治療は、100%患者という立場に立つしかできず、それは生きてはいても不幸なのではないだろうか。
病気になる、病気を持った人と往復書簡を交わすことになる、どちらも、そうならない人生もあったにも関わらず、そうなってしまった。
そんな偶然の中を生きていかなければならない勇気や希望を、もたらしてくれた本だった。
実は一度読んで、普段使わない言葉の羅列に頭に入ってこない部分が沢山あった。
もう一度読んだら、今度はすとんと内容に納得すると共に、とにかく、引用したい部分ばかりの内容の物凄い濃い本で、やっぱり頭に入りきらなかった。
またもう一度読み返したいと思う。こんな本に出会えて本当に良かった。
ちなみに、冒頭の武田砂鉄さんのラジオ「action」は今日のゲストが「女帝 小池百合子」の著者の石井妙子さんで面白かったのでradikoのタイムフリーでぜひ。
砂鉄さんの新刊「わかりやすさの罪」も面白そうです。その読書感想文もまたそのうち。
2020/07/10