頑張るということ

2011年3月11日後、枝野官房長官(当時)が目の下にくまを作って対応に追われており、SNSでは「#枝野寝ろ」がトレンドワードに上がった。
SNSの反応と同じように「枝野さん凄く頑張ってるね。」と言った私に対して「政治家なんだから当たり前だよ」と評した友人もいた。
確かにその通りなのだ。
仕事を評価するのは、どれだけ頑張っているか、ではなくて、どれだけ成果があったか、である。
頑張るということを評価してもらえるのは、子供だけだ。

時給で働くアルバイトをしていたときに思ったのは、頑張って働くのは自分のためなんだなということだった。適当に働いても、一生懸命働いても、アルバイトの時給には大して影響もなく、お金にならないのに何で頑張るのかって、真面目に頑張って働いた方が、自分が楽しいからだ。

今の自営の仕事をしていても、例えば睡眠時間を削って作ったとしても、その洋服が全くお客様の要望に応えられていなかったら、その頑張りはただの自己満足だ。「頑張って作ったんです!」と言ったって、それが商品価値になんてならない。加えて言うと、適当に作っても素敵な仕上がりの方に、私だってお金を払いたい。(まあ、適当に作って良いものなんて出来ないと思うけれど。)

頑張ることは、自己完結の世界で、自分が後悔しないために、一生懸命頑張って仕事をする。頑張るってそういうことだと思う。それだけのこと。

昨日、朝のワイドショーを見ていたら、とある国会議員が「我々は一生懸命頑張っているんです!」と声を荒げていた。
いやいや。頑張っている人を応援したい気持ちはあるけれど、自分から、頑張ってることを主張されても、だから?としか言えないですよ。
と、朝からうんざりして、頑張るって何なんだろうなあとこのブログを書くきっかけになったのでした。

2020/07/18