見た目のはなし

数年前、ノラ・ジョーンズが出産後日本の音楽番組に出たことがあった。
ノラ・ジョーンズが好きな私は、日本に来てくれただけでもとても嬉しく思った。
そんなノラのテレビ出演の後日、歌の感想を言うでもなく、一言目に「凄い太ってたよね!」と言った男がいた。
「え?感想それ?」と、かなり不愉快な気持ちになったのを思い出した。
(これを書いたことで、また不愉快な気持ちになる人がいると思うと申し訳ない。)
数分前、ノラが好きという共通項で分かち合ったと思ったその人との間に、大きな壁ができたようだった。
出産直後なんだから、と、私は言い返し、そんな事も考えられないのか、と当時憤ったが、そもそも、彼女の歌が素晴らしい事と彼女の体型は全く関係ない。
出産どうのという話ではない。言ってしまえば、職業も全く関係ない。人の見てくれに対して、批評することが間違っている。
数年前のことを思い出して、しかももう会うこともない人に対して、またしても怒っている私は、相変わらず無駄なエネルギーを使っている。

話は変わり、実は私は石原さとみが好きだ。
以前「シンゴジラ」のNG集を見たときに、NGを出した石原さとみの謝り方に彼女の生きづらさを見たような気がして、応援したくなってしまったのだ。
あの長台詞だらけの映画の中、色んな役者がNGを出していて、その時の反応は様々なのだけれど、石原さとみは、(変な言い方だけど)、“可愛げ”を一切排除した対応をしていて、きっと、“可愛い”とか“美人”で下駄を履かされるのが嫌なんだろうなと、勝手に想像をした。

女性の間で、美人が得をする、なんて言葉を信じている人は、もういないんじゃないだろうか。
「かぐや姫」では、その美貌で色んな人に求婚されるも、誰も彼女の内面を見ようとはしていなかった。
東村アキ子の漫画「主に泣いてます」は、ギャグテイストではあるけれど、主人公の美人の泉さんの置かれている状況はけっこうな地獄だ。
現実社会では、あんなにも勇気を持って告発をした伊藤詩織さんが、嘘つき呼ばわりをされている。
テレビで度々使われる「美人すぎる○○」という言葉の違和感には、美人に他の才能があるわけない、というある種の偏見が根底にある。
美人が得をする?御飯を奢ってもらうとかその程度で、これらの苦悩がチャラになる?

私はこういう苦悩とは無縁に生きてきたものの、「ルッキズム」には色んな場面で直面してきた。小学生の頃男子に「デブス」と言われたこともあったし、歩いている女性に点数を付けてはしゃいでいる同級生の男子たちに嫌な気持ちを抱いたこともあった。先に書いたノラジョーンズに対する言葉にも未だにモヤモヤしていたりする。

「ルッキズム」という言葉が広く知られるようになり、渡辺直美さんのインスタグラムが人気である現在。
人を容姿でジャッジする時代から変わろうとしている。
願わくは、渡辺直美さんの存在も「太っていてもポジティブ」なんて言われ方をするもっと先、ただ「格好いいね」とだけ話すことができれば。太っていようが美人だろうが、ルッキズムから、解放されたら、どんなに楽だろう。世の中生きやすい人がもっと増えたらいいなと思う。

2020/10/15