フェミニズムについて考える理由

フェミニストというと、「女性の権利ばかり主張する怒ったおばさん」のような偏見を持つ人が一定数いる。
私も、フェミニストという言葉を覚えたのは、子供の頃、TVタックルという番組で、田嶋陽子さんがおじさんと喧嘩していたイメージと同時だった。テレビに植え付けられたイメージそのままに、田嶋陽子さん=フェミニスト=うるさいおばさんと誤解してしまっていた。

次にフェミニストという言葉に触れたのは、高校生の頃、麻生みこと先生の「天然素材でいこう」という漫画の中だった。
この漫画の主人公、高校生の二美(ふたみ)は、偏見を持たずに人と接し、それは同時に「空気を読まない」行動を取るのだけれど、その自然体で無防備な言葉に、校内の人気者達が癒されていく。
そんな彼女がプレイボーイの男の子と食事をした際、その男の子が「僕はフェミニストだから」と言って奢ろうとするのを「それ、違うよ。フェミニズムというのは、男女平等をうたった運動で、イタズラに女を甘やかそうとするのはフェミニストじゃないよ」と断り自分の分の会計をするシーンがある。
少女漫画でこんなシーンを盛り込む麻生みこと先生も素晴らしい。
実際この漫画では、女性の精神的自立がじっくりと描かれており、私の考え方のルーツになっている気がしている。(思い出せば掲載紙のLaLa自体がかなりリベラルな漫画雑誌だった。)

そうして心の中にあるフェミニストという言葉が軌道修正されつつも、女性であるゆえの、もやっとすることについて、しかし深く考えずに、それと世の中のジェンダー格差と結びつけることもなく、声をあげることなんて考えすらしなかった。
私個人のちょっとした出来事だろうと思ってきた。
むしろ、自信が無かった若い私は、性的な欲求であったり、女性性のみを求められていることに、自分自身が求められていると勘違いし、喜び、安堵していたような気がする。
性的な欲求や、女性性のみを求められているということは、私自身の中身は無視され、私自身の価値は認められていないんだということなのに。その事に気付き始め、虚しさや悔しさを覚え始めたある時。
「(触られるのも)私は平気だから」と笑いながら言った女の子に「あなたがそうやって我慢することで他の女の子にも迷惑がかかるんだよ」
と言っている会話を耳にした。
なにかが私の中にズドンと落ちてきた。
ざわざわと罪悪感が身体中をかけめくる。
ヘラヘラと、気にしてないふりをしてきた幾つものことを、私はきちんと考えるべきだった。そして、自己肯定感の低かった自分のことを反省するべきだ。

ジェンダー問題に気付いてしまった以上、もう見ないふりは出来なくなってしまった。

フェミニズムは「体験」を通じて考えていく学問だと田嶋陽子先生は言っていたそうだ。
賃金格差や、妊娠出産によってのキャリアの中断、生理への無理解、会社での女性性の役割の押し付け、胸をじろじろと見られた、痴漢にあった、その被害を訴えたら「お前が痴漢されるわけないじゃん」と言われた、、、
色んな「体験」により、女は「考えざるを得ない」のだ。
考えなくていいならそれでいいのに。と本当に思う。
こんなことばかりブログに書いて、面倒な人だと思われるかなとも思う。
でも書く。
あの時、ヘラヘラと許してきてしまった罪を償うために。
先達が昔より女を生きやすくしてくれたのだから、私も何かしてあげたい。次の世代の女の子のために。
、、、いや、私はこんなに良い人じゃない。
一番は自分のためだ。私が気持ちよく生きられるために。言いたいことはどんどん言っていこうと思う。

2020/12/06