もう終わりにしよう

中学生の頃、学校ではフジテレビのお笑い番組「めちゃイケ」が流行っていて、話題に乗り遅れないように、と我が家では土曜の夜は「めちゃイケ」を見ることになった。
母に「これどこが面白いの?」と言われながら、私は私で「みんなが面白いって言ってるから」と答えになっていない返事をしていた。
家族に付き合わせておきながら勝手な話しだが、正直、私は「めちゃイケ」が苦手だった。
今でも脳裏に焼きついているのが、光浦靖子さんが他の芸人や女性タレントにプールに落とされ、這い上がろうとしたところをまた落とされ、ずぶ濡れで苦しんでいる光浦さんを周りが笑っていた場面だ。
その当時、部活内でいわゆる“いじられキャラ”だった私は、光浦さんに自分を重ね合わせ、何も笑うことが出来なかった。
思い返せば、「めちゃイケ」を面白いと言ってそのノリを持ち込んできたのも部活のいじってきた側の人達だった。

「TVの中の“イジリ”は、お互い信頼関係があるからいじめじゃない。愛のあるイジリだ。むしろイジられるのは“オイシイ”んだ。」
ずっと、TVの中の人達はこうやって言う。
私もずっと、TVの世界は特別なんだ、と理解あるふりをしてきた。

でも、わざわざそんな「容姿イジリ」という笑いの取り方ってする必要あるのかなと、改めて疑問を問いたい。
お笑いなんだから、という言葉で、何もかも許されるのだろうか。
「ブスイジリ」に面白く返している女性芸人を見て、「ブス」と罵られたときの自虐する処世術を学んだ人もいるかもしれない。いや、けっこう多いんじゃないかな。
でも、元を正せば、「ブス」なんて言う方がもちろん悪い。
そして、自虐して笑いを取ったからって「ブス」と言われて傷つかないわけないのに。
TVとお笑い、そして「イジリ」という言葉は、容姿をバカにすることを容認するような、言われた方の傷を見てないふりをするような、そんな空気感を作り出してしまったのではないだろうか。
「ブス」と言われ、本気で怒ったら「ただのノリじゃん」と言われ、なんだか怒ったこちらが悪い気がしてきてしまう。自虐して笑いを取ることを強要してくる。でも自虐なんて、やり続けてたら心がどんどん壊れていくよ。

そろそろ、こういうの終わりにしようよ。

この文章を書いて、もう少し推敲してからアップしようと思っていたら、オリンピック開会式で渡辺直美さんが豚になる演出。というニュースが。
芸人ならオイシイんじゃない?とか、ただのイジリなのに息苦しい世の中になった、とかいう声を一蹴する渡辺直美さんのYouTubeのコメントが優しくて強くて、とてもかっこよかった!

容姿イジリは、本当にもう終わりにしよう!

追記。あの週刊文春の記事を読むと、渡辺直美さんの件は「つかみ」で、全文を読むと佐々木氏の不誠実っぷり、女性蔑視っぷりがもっと凄い問題であることがわかる。
我らPerfumeファンの神、MIKIKOさんへの扱いが本当に酷くて、怒りが沸いてくる。
こんなに実績のある人でも女性というだけで排除されてしまうとは。
オリンピックなんて、ますます今の日本でやるべきじゃない。記事は有料ですがオンラインでも読めます。

2021/03/20