持続可能なファッション
コロナ禍で、「新しい洋服はいらない」と言う人が増え、ただやみくもに消費することをやめようとする動きがある。
このような世の中で、私はファッションに対してどのような向き合い方をしていくべきか、または、ファッションという分野自体が世の中でどのような立ち位置であるべきか、考える時間がとても増えてきた。
私がYamaha.nozとして洋服を作り始めて15年。有り難いことに10年以上のお付き合いのお客様がいらっしゃる。
何年も前の洋服を本当に大事に着て頂いて、時にお直しやリメイクに持ってこられたりする。
こんな時、私は、今までの自分の創作活動がきっと間違ってなかったんだなと思う。
SDGsを多くの企業が掲げるようになり、「持続可能」という言葉が多く耳に入るようになってきた。
しかし、使い捨てのような服を作るファストファッションメーカーが、SDGsを大々的にうたっているのを見ると、凄くモヤモヤした気分になってしまう。
値下げをすることで、もちろん役員の給料が削られるわけでもなく、そのしわ寄せは、下請け企業にまわっていく。
安い商品に慣れた消費者に、適正価格の洋服に対しても「高い」という印象をつけることになっていく。
表向きの数字だけを見て、数字を上げるだけのために「作れ作れ」と、在庫をどんどん増やしていく。
環境に良い素材を使ったところで、下請けの労働者を低賃金で働かせながら、過剰な生産をすることは、果たしてファッション業界に対して「持続可能」と言えるだろうか。
私にはそこには、ファッションの衰退が見えてきてしまう。
ファッションを大切に思う人達は、この業界に失望して去っていく人が多いように思う。その結果、単なるビジネスとしてファッションを扱う人が業界の多くを占めてしまっているのでは。私の仮説ですが。
着飾ることを馬鹿にする人もいるかもしれないが、私は、ファッションは、生活必需品の衣類でもあり、文化でもあると思いたい。
世界の、新しいファッションを生み出そうとするデザイナーの炎は、私にとって高校生の頃から変わらず眩しく見え、無くしてほしくないなと思う。
まるで傍観者のようだが、私の洋服も、なんとなくだけど、そして、とても傲慢かもしれないけれど、残していった方がいいと思っている。
なぜなら、私の洋服でワクワクしたり、楽しんでくださる人達がいるから。
大切にします、と、言ってくれる人達がいるから。
私は、私の洋服を残していくために、どんなものを作っていくべきか。
今一度しっかりと考えたいと思う。
2021/04/08