見えている景色
男女で見えている景色は違う。
そう思う一番の根拠は、性被害に対する捉え方なのではと思う。
以下、性暴力について書きましたので、読む人は注意してください。
性暴力事件の被害者に必ずと言っていいほど向けられる「嘘を言ってるんじゃないの?」という反応。
なぜ、他の犯罪では大抵「容疑者が罪を逃れるために」嘘を言ってるんじゃないかと疑われるのに、性被害だけ、被害者が疑われてしまうのだろうか。
「そんな格好をしていた方が悪い」
「そんな時間に男の家に行くなんておかしい」
「もともと素行が悪かったんじゃないの」
と被害者が責められる。
そのような心ない言葉を発する人達は、性被害を他の犯罪に比べて大したことじゃないと思っているのではないだろうか。
だから平気で被害者を責めることが言える。
被害者が通報したせいで、加害者が社会的制裁を受けることになってしまった。たかが性被害で。
そんな心理があるのではないだろうか。
そんな心理があろうと、傷付いた人を責める権利は他の誰にもない。
加害者の人生が終わってしまった?
当たり前だよ。終わらせたのは誰?
加害者本人だよ。
男みんなが犯罪者じゃない?
そんなこと知ってるよ。そうやって話をずらして何がしたい?
男性はなぜか性加害者に優しい。
どうしても女性を悪者にしたいのだろうか。
私は、もちろん犯人が一番許せないが、セカンドレイプにあたるこういった行為も本当に許せない。
ニュースのコメントやSNSに書き込まれたこういったセカンドレイプのコメント、被害者が見なければいいじゃないかと言う人もいる。
または友人同士の会話なんだから、被害者が聞いてる訳じゃないんだから、と。
しかし、これは当事者だけの問題ではない。
コメントを見ている人や、その会話に参加してる人が、もし、明日被害にあってしまったとしたら。
被害を訴えたら、自分も同じように叩かれるに違いない。。。
そう考え、被害を訴えることも、誰かに相談することさえもこわくて出来なくなってしまう。。。
安易にセカンドレイプの発言をすることは、被害者の声を閉じ込める行為になっていること、わかっていますか?と言いたい。
以前のブログで、子供の頃私も性被害に合い、母親が頼りになったので今もトラウマに縛られず生きていけるということを書いた。
性被害について詳しく書くことをこの場でしていいのかためらっていて、する必要があるのかまだ迷っているので、詳しくは書かない。
とにかく、私が被害を母親に伝えたとき、母親は私を責めることは一言も言わなかった。
あの日、
「なんで知らない人についていったの?!」とか
「嘘ついてるんじゃないの?!」
などと言われていたら。
心が回復することは容易くなかっただろう。
性被害は、実際起こっている件数に比べて、世間に認知されている数(通報された数)が断然少ない。しかし、実際のところは、痴漢を含め性被害に遭ったことのある女性は大勢いるのではと思う。
痴漢被害に遭い、男性に後ろに立たれるだけでも軽く恐怖心を感じてしまう人。
後をつけられたことがあってから駅近くの部屋にしか住めなくなった人。
帰り道に変質者にあってから仕事帰りはタクシーに乗らざるを得なくなった人。
普段は何事もなく生活している人でもちょっとしたトリガーで甦ってきてしまう恐怖心と隣り合わせで生きている。
男女の体格差。抵抗できない恐怖を知っているか?これ1つで見える景色は全く違うものになる。
フラッシュバックを抱えながら、更にセカンドレイプのバッシングに合うのがわかっているにも関わらず、声を上げている被害者の方たちはみんな、「私が声を上げないと次の被害者が生まれてしまうから」と言う。
みんな、「次の人」のために戦っている。
こんな強くて優しい想いを私は陰ながら応援していきたいと思う。
常に連帯を表明していきたい。
そして、簡単に二次加害をしてしまう人達に「ノー!」を言い続けたいと思う。
ちなみに「Yahoo!ニュース個人」で小川たまかさんというライターの方が、性暴力事件について詳しく記事を書いているので、実態を知りたい方は読んでみてほしい。
小川たまかさんの著書
“「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。”
もおすすめです。
2021/04/15