概念を言葉にする

日常に潜む女性差別は、(声をあげるほどでもない。)と私たちが思い込んでいる、日々の単なる「愚痴」になってしまうものが多いと感じる。
しかし、例えば友人に愚痴ると「そういう男の人っているよね!」となり、Twitterに投稿すれば、どんどん集まる似たような事例。
「マンスプレイニング」という言葉の誕生は、そんな女性たちのモヤモヤに光が当てられたようだった。概念に名前がつくことの大切さを感じる。
「マンスプレイニング」とは、男性が女性を無知だと決めつけ、一方的に説教したり求めていない助言をしたりする態度をいう。

数年前。私の尊敬する20年近く自営業を営んでいる友人に、仕事でちょっと知り合った(長年の友人の私から言わせればぽっと出の)男性が、仕事に関するアドバイスを急にし始めたことがあった。
本当にいきなりだった。友人が相談を持ちかけたわけでもない。
そして、そのアドバイスは、「なぜ彼女が今までそのことを考えたことがないと思っているのか」と言いたくなるようなことばかりだった。私から見た友人はいつも仕事のことをストイックに考えていて、そんな彼女より、知り合ったばかりのあなたがなぜ良いアドバイスが出来ると思うのか。
、、、なぜか私が勝手に思い出し怒りをしている。

最近もSNS上で、著名な男性医師がフェミニストの女性ジャーナリストに、こともあろうに「フェミニズムはこうあるべき」などと説いていた。

うんざりする。
日常の中、事を荒げないよう周りを気遣うことの多い(その方が女らしいと教育されてきている)女性たちは、愚痴って終わりにしてしまうが、心の中にこういう蔑視された経験が積み重なっている。1つ1つが小さいから本当に気付かれにくい。気付かれないまま、女性の声は抑圧されていく。
それでも、「マンスプレイニング」という言葉が生まれ、同じように感じていた女性がこんなに沢山いたのかと知ることができた。ジェンダーの問題なのだと知ることができた。
小さな気付きから世の中が変わっていってくれたらと思う。

「マンスプレイニング」という言葉が生まれるきっかけとなった、レベッカ・ソルニットの「説教したがる男たち」は、力強い文章で書かれた痛快な一冊だった。
「徹底して無知でありながら、完璧で挑戦的なまでの自信に満ちた態度」こうした態度は特定のジェンダーに結び付いているとソルニットは言い、女性ならだいたいどこかの時点で経験済みのものだと、若い女性にエールを送るようなエッセイだ。
エンパワーメントされる一冊なので多くの人に読んでもらいたいなと思う。

2022/03/08