女性デーだから女性のことを考える。

韓国にキム・ジナさんという政治家がいる。「女性のための党」を立ち上げ2021年ソウル市長選に出馬された方だ。
彼女の著書の「薔薇はいいから議席をくれよ」の中の『今、ここでのバックラッシュ』という章の冒頭で、女性の党を立ち上げた会見で真っ先に「他のマイノリティについて」を聞かれてガクっとなった、というエピソードが語られている。
女性は、女性のための党を立ち上げた人でさえ、他の属性を配慮させられなければならないのだろうか。
今、「女性のための党」が日本には悲しいかな1つも無い。ゴリゴリの家父長制温存型の自民党のみならず、ジェンダー平等と訴えている共産党や社民党も、女性のことは真剣に取り組んでいない。
女性の不安や被害よりも、男性の自認を優先しようとする。
全ての差別に反対しますと言う人たちの言葉には(ただし女性差別は除く)が隠されている。

前回のブログで「性自認を尊重しなければいけない」ということが起こす懸念を一部書いたが、もっと深く考えていきたい。
そもそも、性自認とは一体何なのだろうか。“女性を自認する”とはどういうことなのだろうか。
私が自分のことを女性だというのは、身体が女性だからに他ならない。
レースとか、いわゆる女性らしい「」デザインを好む人が女性といわれたら、私は女性ではなくなってしまう。
“こうあったら女性だ”という定義は身体以外に無く、「女性らしい」というものは社会が決めつけた偏見でしかない。細かい配慮が出来たら女性?いや、それも社会が作った性差でしかない。
身体男性が例えスカートやフリルが好きだったとしても、それは、スカートやフリルが好きな男性であり、男性の多様性に含まれるべきだ。

#トランス女性は女性です。というハッシュタグがあるが、トランス女性=女性(女性と全く同じ)ではないのは紛れもない事実で、その違いを認めてこそ多様性を認めるということなのではないだろうか。
トランス女性は女性です、というのは、“男らしくない男”を認めたくない非常にホモフォビアな考え方であるように思う。
そして、女性自認男性を女性の枠に押し込めることは、単に男性の権利拡大にしかならない。
女性自認男性が国会議員になったとして、それを「女性枠」だとは私は認めたくない。女性の議員を増やしてほしいのは、女性の身体ならではの生きづらさを解消してもらいたいからだ。
スポーツの世界ではすでに女性自認男性が女性として参加し、賞を取っている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e4b86cbc78a2b0ef633c5dae964910334522cd2f


また、様々な統計が崩され、女性差別の実態が見えにくくなるだろう。

3/8国際女性デーに、時折「男性の生きづらさ」を語るメディアがある。一年のたった一日の女性デーなのに!
それだけ、“女性だけのもの”が受け入れられない男性が多いのだろう。
確かに私も、女性差別について語る際男性に忖度した語り方をしてしまうことが多々ある。そのたびに自己嫌悪に陥ってしまうのだが、そろそろ、女は女のことだけ語ってもいいではないか。
女の権利だけ主張してもいいではないか。
とりあえず私が今訴えたいのは、低用量ピルの価格!!高すぎるのよ!!!!!

あと、女性のための党を!強く要望します。

2023/3/8