読書体験その2

世間の目、世間の意見、世間の常識。
これに振り回されない人っているのだろうか。
2冊の読書体験を通して、その苦しみを考えることになった。

能町みね子さんの「結婚の奴」と、村田沙耶香さんの「コンビニ人間」。

私は、能町みね子さんという方は、SNSなどを見ていると、自分の意見をしっかりと持ち、世間の常識に囚われていない人だと勝手に思っていた。
そしてきっと、多くの部分では、その通りの人のような気がしている。
しかし、こと「恋愛」に対しては、世の中の普通の人がしているようにそれが出来ないことで苦しんでいた。
そのことを、この本ではとても剥き出しに書いてあり、私の心の中に何かざわっとしたものを残していった。

「コンビニ人間」では、主人公は、ずっと「おかしい」と言われ続けてきた。
そして何がおかしいのかわからないまま、自分は「おかしいと言われる人間」ということを自覚し、世間に埋没するよう努めている。
ここで苦しいのが、どんなに世間に埋没しようとしても、少しでも人と違う生き方をしていると、すぐにそこの部分を「世間」は見付け出し、「普通側」に軌道修正させようとしてくる。

果たして自分も、世間の常識を自分の意見のように言っていることはないだろうか。
そして、その言葉で自分自身をも苦しめていないだろうか。
恋愛して結婚することが普通とされているなかで、恋愛感情の無い相手と結婚生活をしてみている能町さんに、希望を見た人は多いのでは。
そして私は、「恋愛はした方がいい」といった世間の常識を垂れ流していた今までの自分を反省した。

ところで私は、逆に「世間」に反発している事を言っているだけかもしれない時もある。
そんなことを考えてみる。

「何でみんなみたいにルーズソックス履かないの?」
クラスメイトの男子にこう言われた事がある。
高校生の頃、まわりはみんなルーズソックスを履いていた時代。
私は、人と同じ格好はしたくない、と1人カラフルな靴下を履いていた。
世間に抗いたい、自我が暴走していた高校生だった自分がいる。
未だに、その言葉を言ってきた男子の事を忘れられないでいる。

自分で選択しているようで、私の意識は世間から切り離すことが出来ない。
どうしたって苦しむことはあるんだろう。
なるべくなら、「普通はこうだよ」などと言って、自分や他者を傷付けないようしたいと思う。

2020/06/02