差別についてつらつらと

差別には立ち向かっていきたいと思っているけれど、完全に差別意識を無くすことは無理だと思っている。私の中にも、無意識の中で何かに対して差別していることがあると思う。しかし、その無意識の意識に気付くことがとても大事なことだと思っている。自分の言葉で人を傷つけることのないように。

東京に住んでいると、わりと周りにはリベラルな人が多く、そんなにあからさまな差別的発言と出くわすことはないけれど、時々ふとした時に人の差別意識に触れてしまう。
でも、「差別は良くない」と意識して生活するのと、何も意識しないのとで問題が変わってくる。
差別意識を自覚し、それをむやみに発しないことがまず私たちに出来ることではないだろうか。
未だに中国、韓国に対しての偏見や差別の言葉を目にすることがある。普段は温厚ないい人だと思っていたのに、そういう発言を聞くとぎょっとしてしまう。中国、韓国に反日教育があったとして、今の若い人達は、互いに文化を通して交流していたりする。政府憎んで土地、人を憎まず、だ。
むやみな差別発言はただの対立を生むだけ。
どうやったら、差別発言は無くなるのかな。どうやって伝えたらいいのかな。私の差別に立ち向かうこととは差別そのものよりも、無意識な差別意識を持った人との 向き合いかたを模索することであった。

テレビを見ていて、関西の人が苦手だなと思っている自分がいる。関西弁の芸人さんが粗野な物言いをしているのを見たり、大阪の警察官の被疑者に対する侮蔑的な発言を見たりすると、「ほんと大阪の人って。」などと言いそうになってしまう。
でも、私には大阪出身の大好きな友人や、在住の気の合う人たちがいる。
主語を大きくして語ってしまうと差別や偏見を生む。
今、アメリカでは黒人差別に対する抗議デモが起こっている。ずっと前から、警察官による黒人に対する不当な扱いは問題になっている。
白人主義者の人には、「これだから黒人は」という所で思考停止になっている人もいるのではないだろうか。自分と違う人間は目立って見えてしまう。私にとっての関西弁のように。
大きな主語で自分の思いを語ろうとする前に、一度冷静に、対個人として考えることが大切だと思う。

“日本では黒人差別は一般的ではないから、こんなコロナ禍にそんなデモやるべきではない”という人がいる。
後半は気持ちも分からなくもないけれど、「一般的ではない」というのはその人のまわりにいなかっただけの話で、もっと想像力を働かせてほしいと思った。

差別問題は、こうやって毎日のようにトピックを投げ掛けてくる。
何度も書いては休み、を繰り返していたら、このブログがここまで長くなってしまった。
大まかに分ければ、日本で日本人らしい見た目で育ち、異性愛者、私はマジョリティだ。だからこそ、人の痛みには鈍感になりやすい。意識を持って生活していきたいと思う。

2020/06/22